50 Jahre: Die wichtigsten Meilensteine der Intercity-Geschichte | DB Inside Bahn(ドイツ鉄道サイトより、2021年10月25日付)
ドイツ鉄道の誇るインターシティー特急が、記念すべき50周年を迎えました。
開始は1971年、1時間ごとに運転する分かりやすいパターンダイヤや2等車の連結、異なる系統同士の便利な乗り継ぎが特徴です。
ヨーロッパでも日本でも、もともと特急列車というものは敷居が高く、一部の上流階級のみが利用していました。本数は一日数本程度で、車両も高価な1等車のみ、多くの人が気軽に乗れるものではなかったのです。インターシティはこれを変え、特急を大衆化する大きな功績を果たしました。
路線の増強は続き、1979年には "Jede Stunde, jede Klasse"(Every hour, every class/ 毎時発車、各等クラス)という宣伝文句が用いられています。
1990年代以降、旧東独地域へのネットワーク拡大や高速鉄道ICEとの一体的運用がなされています。また、スイス、オーストリア、イタリア、北欧や東欧諸国でも同じ運行形態が広まっています。
インターシティは英単語ですし、起源はイギリスです。名称として用いられたのは1950年が最初とのことで、その後、イギリス国鉄(British Rail)が1966年にすべての特急のブランド名にしました。
【日本の鉄道との関連:新幹線、エル特急】 ここで連想するのは、日本の動向です。ドイツ・インターシティの1年後、「数自慢・かっきり発車・自由席」を謳って1972年に登場したエル特急は、どれだけ情報交換がなされていたのか知る由もありませんが、ほぼドイツの概念のコピーと言ってよいのではないでしょうか。
もっとも、1964年にできた東海道新幹線は、開業時から「ひかり」1時間ごと、「こだま」1時間ごとという便利なダイヤで、大好評のためその直後1965年に各30分ごと、1967年に各20分ごとに増えています。特急大衆化の先駆けは実は新幹線で、それがドイツなどを刺激したようにも思えます。
特急の大衆化が起こったのは、ヨーロッパも日本も同じです。かつての「つばめ」「はと」のように、豪華で特権的な存在だった特急は、どんどん本数が増え、急行などと変わらないような存在になり、現在これらは事実上、全部一本化されています。
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